ジャパンカップの特徴

馬番ゼッケンに馬名(片サイドに片仮名馬名、もう片サイドには英文馬名を記述)が入っているものを使用するのはこの競走の特徴である。第1回と第2回は従来の番号のみのゼッケンであったが、第3回からこの特別仕様のゼッケンを使用している。馬番ゼッケンに馬名を入れたのはこのジャパンカップがはじめてであった。また第6回までは馬名入りゼッケンはこのジャパンカップのみでしか使用していなかった(当時は日本ダービーなどの八大競走でも使用されていなかったが1985年の有馬記念では試験的に使用されていた)。このゼッケンは1987年秋以降順次他のGI競走やその他の競走にも拡大され、現在は中央競馬全場及び大井競馬場において一般競走を含む全競走に馬名入りのゼッケンを使用している(ただし英文馬名入りのゼッケンは一部の国際競走(外国馬の出走がある場合)でしか使用されない。なお、馬体の左側が英文と固定されている)。また本競走とジャパンカップダートでは2002年から、片仮名馬名の面にその馬の調教国の国旗があしらわれるようになった(2006年からは英文馬名側にも国旗を記載)。
国際競走らしく第3回においては5着までの調教国が全て異なる結果となった[4]。
本競走の正式名称はあくまでジャパンカップであるが2000年のジャパンカップダート創設以降、混同を避けるためかジャパンカップターフと称するファンや関係者もいる。
当日の東京競馬場は全11競走制であり、本競走は第10競走として施行される(2004年のゴールデンジュビリーデーについては最終第11競走(この時も全11競走制)としておこなわれた)。よって勝馬投票券購入に際しては競走番号を間違えないよう注意する必要がある(当日は東京競馬場をはじめとする各発売所、及び在宅投票システムでもこの旨注意喚起がされている)。
1993年にブリーダーズカップターフ優勝馬コタシャーンが単勝1番人気で出走したが、残り100m時点で鞍上のケント・デザーモが残り100mを示すハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がって追うのを止めた。その後慌てて追い出したものの結果2着に終わったという事件があった(この時の優勝馬はレガシーワールド、日本のせん馬として最初のGI優勝)。この事件をきっかけとしてその後徐々に各競馬場の残り100mのハロン棒が撤去され、代わりに残り100mを示す表示が柵に表示されるようになっている。
1985年にシンボリルドルフとロッキータイガー(船橋競馬所属)による初の日本馬同士のワン・ツー・フィニッシュ(1・2着独占)が達成された。中央所属馬同士のワンツーは1998年(優勝:エルコンドルパサー・2着:エアグルーヴ)が最初で、以降中央所属馬同士のワンツーはこれまでの26回中5回ある。
日本馬が掲示板を独占(1~5着)したのはこれまでに4回あるが(下記)、外国馬が掲示板を独占したことは初開催以来1度も無い。
2001年
1着ジャングルポケット
2着テイエムオペラオー
3着ナリタトップロード
4着ステイゴールド
5着メイショウドトウ
2003年
1着タップダンスシチー
2着ザッツザプレンティ
3着シンボリクリスエス
4着ネオユニヴァース
5着アクティブバイオ
2007年
1着アドマイヤムーン
2着ポップロック
3着メイショウサムソン
4着ウオッカ
5着デルタブルース
2008年
1着スクリーンヒーロー
2着ディープスカイ
3着ウオッカ
4着マツリダゴッホ
5着オウケンブルースリ
国際競走ではあるが、東京優駿で行われている国歌独唱はジャパンカップでは行われていない。